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◆青砥神社の由緒


「万葉集」巻十四の東歌に
  にほどりの葛飾早稲を贄すとも そのかなしきを外に立てめやも  とありますが、この
地は米どころとして葛飾の野に実った早稲の新米を神様に供して新嘗の祭事を営んでいたことが窺えます。

また青戸付近は良質粘土の原産地として早くも古墳時代より土器作りを主要とした人々の生活の地でもありました。
このように祭事に深く関わり営まれた信仰の地は葛西御厨(伊勢神宮の神領地)として応年5年(1398)下総国葛西
御厨注文(鏑矢伊勢宮方記)に見えています。

その後、幾多の戦や行政の変遷などにも揺らぐことなく受け継がれ、三社明神(稲荷・白髭・諏訪)と称し、この里の鎮
守神と崇られた様子が天正丙子年(1576)頃から文献等にみえ、その広大無辺の御神徳はこの里に人々が暮らしは
じめてから千有余年変わることなく、今を生きる皆様の上にも遍く日夜加護されております。

そして明治の御代に入り、詔によって神社の正実を明らかにすることとなりました。
 ー明治5年  社名を「白髭神社」と改称
 −昭和18年 旧青戸4丁目鎮座の白山神社を合祀し、「青砥神社」と改称
 −昭和35年 旧青戸町内に鎮座せる高木神社・八幡神社・北野神社・葛葉稲荷神社・水神社を合祀
 −昭和45年〜55年にかけての環状七号線の整備により、葛西城址鎮座の青砥藤綱神社を合祀


    昭和45年頃の青砥藤綱神社@                     A
     


このように悠久の時を経て、当神社は氏子・崇敬者の方々の「こころの故郷」としてこの地にお鎮まりになっておられま
す。


◆御祭神


猿田彦命(さるたひこのみこと)       進むべき道に正しく導いてくださいます


健御名方命(たけみなかたのみこと)     調和と団結の心を与えてくださいます


宇迦之御霊命(うがのみたまのみこと)      豊かな恵みと心に憩いを与えてくださいます


伊耶那美命(いざなみのみこと)     万物の母神としてお守りくださいます


高皇産霊神(たかむすびのかみ)       生成を司り殖産興業をお佑けくださいます


誉田別尊(ほんだわけのみこと)       私たちを邪神からお守りくださいます



菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
    知識教養を与えてくださいます     


彌都波能目神(みずはのめのかみ)    汚れを祓い身心健全を授けてくださいます  


青砥藤綱公(あおとふじつなこう)    千辛万苦に際し天佑神助を取り持つ神様です




◆青砥藤綱公故事来歴

<松明で川底を照らす青砥藤綱>

当神社で御祭神としてお祀り申し上げております 青砥藤綱公は、 鎌倉執権の
政道補佐(左衛門尉、評定
頭)を歴任し、
 理世安民の政道正しく 近国の大荘八ヵ国を領した 希代の名判管として幾つかの 伝説・逸
話が今日に伝わっております。

ある時藤綱公は 夜中急用のため幕府に出仕する際、滑川(なめりかわ)に 銭十文を落としてしまい 近くの
町屋に
人を走らせ 松明十把を銭五十文で買い求め これを燃やして川底を照らし 十文を拾わせました。

後日 この十文の銭を 五十文の費用
をかけて拾わせた件を 小利大損であると笑った者たちに 落と
した十文は永久に
失せることなく、 松明を買った五十文は 諸家が利益を得ることになり、これは天下の
みではないか
 と諭したところ、 一同舌を巻いて感動したというお話です。

この逸話などから、 深謀遠慮な政道を為した青砥藤綱公の 理非曲直を明らかにする清廉潔白なお人柄が
窺われ、 今日まで多くの氏子・崇敬者に慕い敬われております。